ドクターのご紹介
精神科疾患の栄養療法の創始者であるホッファー先生と2005年にカナダでお会いし、分子整合栄養医学について直接ご本人からお話をうかがう貴重な時間を持ちました。ホッファー先生の偉大な功績の全貌を知る由もない私は、先生の口から語られる先験的な治療論に、ただただ関心の連続でした。
帰国して再び臨床医としての多忙な生活に明け暮れる中で、ホッファー先生のお話を思い出すことが多く、あのカナダでの懇談において実にたくさんの御示唆をいただいていたことに後になって気付きました。
特に、「患者を治し、納税者にする」 というホッファー先生の言葉が、栄養療法とは直接関係がないにも関わらず、私の心に幾度となく思い出されます。先生は、患者さんの病気の症状をとるだけでは不十分で、その患者さんが社会に出て仕事ができるようになって初めて治療が終了したとお考えになる方だったのです。
「病気と、その人の人生に関わろう」 という考えで精神科医を続けてきた私にとって、ホッファー先生の治療論は共感的に受け入れることのできるものでした。
精神科医として深い共感を得られる先覚者との出会いに勇気づけられ、「病気の治療とともに精神面で患者さんの人生を応援する」 、いつまでもそんな治療者でありたいという思いを新たにしています。
理事長 廣瀬 久益(ひろせ ひさよし)プロフィール
略歴
1951年、大阪市生まれ。筑波大学医学専門学群を卒業後、精神科単科病院である茨城県立友部病院に勤務。
合併症病棟を担当し、身体疾患を伴う精神障害者の治療に携わりながら、当時まだ萌芽期であったアルコール依存症の治療への取り組みを始め、アルコール依存症患者とその家族を対象とする集団精神療法を手掛ける。
兼務の茨城県精神衛生センター(現在の茨城県精神保健福祉センター)に於いて、アルコール問題・思春期問題(不登校・家庭内暴力・等)・軽症の精神障害(不安障害・感情障害・強迫性障害・等)の治療を担当する。
豊後荘病院が茨城県内で初のアルコール専門病棟を開設するに当たりその立ち上げを依頼され友部病院を辞職し、豊後荘病院に移ってその任務をやり遂げる。豊後荘病院では他に、痴呆専門病棟・内科病棟に於いても担当医としての激務をこなす。
1989年、水戸市内で入院施設を持たない精神科外来診療所「廣瀬クリニック」を開院。アルコール依存症患者とその家族(アダルトチルドレンを含む)の治療を中心に行いながら、不安障害・感情障害・強迫性障害・解離性障害・不登校・ひきこもり・家庭内暴力・統合失調症など、地域住民の心の病の治療に幅広く取り組む。
患者の成育歴、環境因子を時間的かつ空間的に診断し、精神療法・薬物療法・東洋医学・集団精神療法・運動精神療法等の治療技法を駆使してのその治療効果の高さは、患者自身のクチコミによって広まり、知人の紹介でという新患が多く訪れる不思議な精神科となってしまった。他の精神科病院を転々としていた患者が訪れた際には一様に「もっと早く来れば良かった」という感想を漏らす。標榜科目の規制がいつの間にか取り払われていたことに気付き、「心療内科」を標榜するに至るも、診療内容にそれまでと変わるところは皆無。
2005年からは、分子整合栄養医学に基づく栄養療法を果敢に取り入れ、これまで難治例とされていた精神疾患の治癒率を大幅に引き上げている。
なお、児童虐待が社会問題になった時には、茨城県中央児童相談所からその緊急対策のために特別顧問を依頼され、職員が実力をつけるまでの期間、中心的指導者として対策に当たる。茨城県内で引きこもり青年が親を惨殺するという人々を震撼させる事件が2件たて続けに起きた時に、県が対策のために5人の専門医を各保険所に置いた際には、水戸保健所のひきこもり専門相談医としての要職を引き受ける。
県立高等学校の校医としても、毎年2回の講演を通じて精神的なサポートを行うと共に個人的な問題を抱えた生徒に援助の手を差し伸べている。
2010年、志あって、「新宿OP廣瀬クリニック」 を開院。
こころの治癒支援コンテンツ
症例・改善例を交えた運動・栄養・行動などの療法の効果やメカニズム、一般的な診断・治療の問題点と当院のアプローチの違い等、こころの治癒を目指す皆様を支援する情報をドクターが解説。内容は動画でもご覧頂けます。